水の都・大阪には、八百八橋(はっぴゃくはばし)と
言われる位たくさんの橋がある。
難波橋(なにわばし:別名なんにゃばし)もそのひとつ。
wikiより抜粋。
結構代表的な橋なのだ。
難波橋辺りの最初の橋は、元をたどると704年ごろに行基によって架けられたといわれている。
江戸時代には天神橋、天満橋と共に浪花三大橋と呼ばれ、表記は「浪華橋」が一般的であった。堺筋の西隣にある難波橋筋に架かっており、橋の長さが108間(約207m)もの大型の反り橋だったという。1661年(寛文元年)天神橋とともに公儀橋とされた。
明治9年(1876年)に鉄橋に架け替えられたが、このときに中之島自体が上流へ拡張されたため、橋は中之島をはさんで南北に分けられた。
1912年(明治45年)に大阪市電が北浜以北、天神橋筋六丁目まで延伸された際に現在の位置に架け替えられた。その後の老朽化により1975年(昭和50年)に大阪市により大改修された。
この橋の南詰めには、2つのライオン像がある。
したがって、この橋のことを「ライオン橋」と呼ぶ人もいる。
長き年月。
風雨に耐え、
猛暑に耐え、
酷寒に耐え、
大阪の町を見守り続けたライオン。
誇り高く、
全てを受け止め、
そして許し、
凛としたその姿。
人々に勇気を与え、
時に慰め、
励ます存在感。
紛れも無くライオンである。
一家の主は、
こうでなければいけない。
どんなことにも動じないライオン。
そんなライオンに私はなりたい。